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訴訟の時系列について

訴訟について時系列で整理しています。

​時系列(一時保護まで)

令和4年5月30日

5月31日〜6月2日の期間において、娘は福岡・長崎へ修学旅行へ。修学旅行中、女の子としては遅い初経が起きている。

令和4年6月2日

修学旅行からの帰路(新大阪〜奈良・奈良市立H中学校)、虐めがあり、精神疾患が発症。瞳孔が開く閉じるを繰り返し、何かしら同級生らに飲まされたのではないか?と、身体に異変があるとして、しきりに親権者らに訴えていた。虐めについては、本人にメモを書いてもらい状況を聴取している。

令和4年6月3日

奈良市立H中学校に対して、親権者母より 修学旅行中の虐めについて話し合いの場を設けてほしい旨、架電。娘については、昨日と同様の状況(時折に瞳孔が開く閉じる、身体の異変を訴える等)。

※その後、何度か、奈良市立H中学校とは虐め問題について協議しているが、この事実についても児相書面からは無かった事にされている。

令和4年6月4日

修学旅行から帰宅して、変わらずの状況の娘(瞳孔が開く閉じる、身体の異変を訴える)であったことから、よくある旅行疲れによるものではないか?と親権者らは考え、外食に行くことを娘に提案、衣類を着替えてくるように伝えた。部屋に戻った娘は、3Fの自室の窓から壁ずたいに転落していた。奈良県総合医療センターに緊急搬送され、手術を行い命に別状なく、大骸骨と顎の骨折となっていた事から入院となる。

令和4年6月5日〜

6月4日〜7月中旬にわたり入院。入院中、親権者(父母)は自宅から往復約20km以上を病院に日参。​娘が流動食を食べられるようになってからは、ナースから食事の状況を把握し、更に病室に備え付けの冷蔵庫の中に差し入れの食べ物を常に入れておくなど(コロナ禍の為、ナースにお願いをしていた)、入院中の状況はナースから常に情報を取っていた。

ナースの話によると、自室のベッドから全く動かず、トイレや風呂にも入らず、ナースを部屋に入れないなどの状態があるや、病院食をあまり食べてくれないとの事であった。更には、6月下旬〜7月上旬にかけて様子がおかしく、自室のベッド周辺に紙を点々と置いているや、病室の壁紙を剥がしている、病室から脱走しようとする等の報告があった。

親権者らは、コロナ禍の為、娘とは面会が殆どと言っていいほど出来ておらず、実態が掴めない状態であった。

また、同病院の担当医師からの横暴かつ非礼な態度が入院当初に重なり、特に心を扱う精神科を含め、同病院の医師の対応の問題からも他病院への転院に動いていたが、同病院より身体の治療はそのままに、精神科については退院後の他院受診で問題ないとの事で入院継続となった。また、同医師らとの会議が行われ、横暴かつ非礼については誤解があったとの事で親権者らは正式に謝罪を受けている。

奈良県総合医療センター入院から、親権者らは、退院後の他院治療を見据えて日々の記録を取るようにしている。これは退院後の自宅看護においても続けている。

令和4年7月中旬

退院となった。当初は退院まで2ヶ月とのことであったが、想定よりも1ヶ月早い退院となっている。退院時点の娘はガリガリの痩せの状態で、大きな手術による影響と、ナースの証言通り、病院食をあまり食べていない状態であったと考えられる。

退院してから、ほどなくして「うすら笑い」の症状が出始め、「空笑」のように自身でコントロール出来ていないような状態であった。松葉杖を使わないなど、問題行動があったが、それらも自身のコントロールの及ばないような状況に見えた。月末に近づくにつれて少しずつ様子がおかしくなっていった。親権者らは病院への通院を模索していたが、日に日に様子がおかしくなり、とても連れていける状況になかった。

令和4年
7月下旬〜8月上旬

7月下旬〜8月上旬にかけて精神症状となって表出し、ピークを迎えていった。奈良県総合医療センターのナースから聞いていたものは、これの事かと思った。奈良県総合医療センターにおいては修学旅行1ヶ月後に症状のピーク、今回は2ヶ月後に同様にピークであったので、月経周期の関連も疑われた。症状としては、幻覚・幻視(妄想)・食思不振(食事をとらない)・風呂に入らない・歯磨きをしない・失禁をする・全く動かない・突然暴れだすや大声で騒ぎ出す、等。親権者と兄は、万が一も想定して、最長48時間の不眠での看護となった。症状が出始めて10日ほど経過した頃だったと思うが、突然、そうした症状が消失し、普段のように歯磨きするや机に向かって勉強をしている、コミュニケーションも普通に取れるため、親権者らは驚愕し、事態が意味不明であった。

尚、症状がピークの頃、大学病院や地域の医院に電話をして何かしら方法がないか?と相談をしているが、救急車についてはコロナ禍で出払っていた為と思うが、なんとか娘を連れて通院して欲しいとしか述べられず、親権者らは絶望していた。

令和4年
8月中旬〜9月上旬

​消失したように見えた症状も、少しずつ様子がおかしくなっていき、症状は再び悪化していった。いつ、暴れ出すなどがあるか予測のつかない事態は続いており、通院困難な状況にあった。

令和4年9月中旬

症状が少しだけ落ち着いたように見えた事と、娘のことを以前から理解している第三者を交えて、相談をしたい考えから、奈良市立H中学校の教頭先生(当時)に家にお越しいただく。教頭先生は、娘とやりとりをして通常の状態には思えなかったとの事と、この状態の娘を連れて、乳幼児2人を更にかかえる親権者らでは通院は不可能(車で暴れるや車外に飛び出すなど)であるとの事で、教員を別に出してくださるので皆で通院を試みましょうと提案を受け、親権者らは家族皆が看護で疲弊を尽くしていた事から、渡りに船であったのでこれを真剣に検討し始める。

その数日後、娘は自室から出て、リビングの冷蔵庫のお茶を飲み干したあと、親権者母の前で家の電話機を用いて笑いながら「監禁されている」として110番通報していた。(※第三者の精神科医からは、これは精神疾患によるものであると医学的に述べられている)

警察署においては、一通り自宅看護の状況を説明し、幹部警察官からは「しばらくしたら戻ってくると思いますよ」と説明を受けた。尚、一時保護以後の28条審判時に児相から家裁に申し立てられた証拠書面には、娘は警察官に「虫で作られたおにぎりを食べさせられた」等と話をしていたとあり、警察官も「親権者は精神症状があると言っていた」として、児相には伝達していた事実が残されており、児相は当初から娘の精神症状の事実を知っていた。

​時系列(一時保護以降)

令和○年○月

作成中

適時、追記や修正をしております。

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